
8月14日休みを利用して家族3人で群馬県みどり市にある
富弘美術館に行ってきた。
2001年のコンペの下見以来である。
残念ながら、コンペには落選したが、コンペは夢をみられるので、実に楽しい。
低層の建物は周辺環境を阻害することなく、実に自然に建っていた。
無理なディテール等多少の問題はあるものの、それなりに上手くまとまっていた。
特に驚いたのは動線の心地よさだった。
大小様々な円を接して配置し、正方形の型で型押しして、切り取ったようなプランだったため、期待はしていたがそれ以上であった。
ただ、展示空間はもう少し明るくした方が 星野氏の作品にはむいているように思えた。
せっかくココまで来たのだから、ついでに
世界遺産・日光社寺群にいくことにした。
杉の大木に囲まれた中央の砂の参道を歩いて行き、表門をくぐると三神庫をはじめ、陽明門の豪華さに圧倒された。
ブルーノ・タウトに言わせれば、
「装飾品のように美しい眩いばかりのきらびやかさ、しかし、すべてが威圧的で少しも親しみがない」とのことだが、
私は それとはちょっと違ったものを感じた。
緻密で精巧な彫刻や組物など、圧倒的技術の組み立てでつくられた空間がつまらないのだ。
権現造りの本殿についても同様に思えた。
シンメトリーのプロポーションは益々イメージを増幅した。
・・・・・ここからは私の勝手な自論だが
多分、日本の木割書の成立が大きく関係していると思う。
(木割書=建物の設計意匠を、部材寸法・部材間寸法の比例によって説明した、指導書)
なぜなら、それが、室町時代末期から安土桃山時代にかけて成立しているから。
戦国期には、信長の墨俣城攻略による秀吉の一夜城の建設をはじめとして、他の城郭建築の建設においても、短時間で合理的に建設するために、最適モデュールが検討された。
これが、木割に大きな影響を与えた。
本来、このモデュールは城郭建築からきたものだ。
だから、社寺建築のように要素が少ないものを扱うと、
大きな建物になればなる程、スケールオーバーしてしまう。
まさに、建築物はデザイナーの領域から、オンリークラフトマンに移った時期だと考える。
現に、これ以降、近代までは、
住居系建築や城郭建築以外では、オリジナルの建築作品で名建築は建築されていない。
・・・・・そんなことを考えながら、この建物群を見ていたら、
近所にあるお寺や神社に近いプロポーションに親近感すら感じた。
おまけ今回のドライブは私の愛車が20周年にしてようやく
100000km突破する記念ドライブでもあった。
しかし、、、
伊勢崎インターを降りた所でちょっと道に迷い、なんとか正しい道を確認してほっとしているうちに
メーターは100000kmを回ってしまった!!
99999も 6個の数字が同時に変わる100000の瞬間も誰にも見てもらえず、ひっそりと・・・・

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