
先日の日曜日、久しぶりに明るい時間にいつもと違ったコースを散歩していると、1反(991.74㎡)程度の広さであるが、一面のゲンゲの花の咲く田んぼを見つけた。
ゲンゲと言われると
?と思う人もあると思うが、ゲンゲとは一般に
レンゲと呼ばれている、誰でも知っている10cm~25cm程度の茎をもつ赤紫色の小さな花を持つマメ科の植物のことである。
ゲンゲは「翹揺」の音読みからきているという。
そして、別名のレンゲと呼ばれるのは、長い茎の先に薄紫色の小さい花を7~9個輪になってつけるようすがハス(蓮)の花(華)に似ているからだそうだ。

子供頃、学校帰りの田んぼに立ち寄り、女の子は、花輪づくり、男の子はひたすら、花弁をむしってガクを出し、その中央に着いた小さなガクの部分を口で吸い、ほのかに甘い蜜を愉しむ。
特別甘いものに飢えた時代ではないが、花から直接甘みを味わう野趣がとても楽しかったことを思い出した。ゲンゲは田舎の子供たちにとって、ツツジの次に蜜を吸いやすい人気者であった。
そして、この時期、どこの田んぼもこの花で覆われている風景は当たり前のものだった。
ゲンゲは私の育った地域では、20~30年程前までは稲刈り後の10月の終わりに種を撒き、この時期に花が咲き、4月の終わりに2回目の田起こしの時、土の中に敷きこまれ、5月後半の代掻きまでの間 発酵させ、緑肥として栽培されていた。
小学校の頃、植物を栽培するのにあたって、
窒素(主に植物を大きく生長させる作用がある。特に葉を大きくさせやすく、葉肥(はごえ)と言われる。)・
リン酸(主に開花結実に関係する。花肥(はなごえ)または実肥(みごえ)と言われる。)・
カリウム(カリと呼ばれ、主に根の発育と細胞内の浸透圧調整に関係するため根肥(ねごえ)といわれる。)の3大要素は何の効能があるのかより、馬鹿の一つ覚えのように先生から教え込まれた。
とりわけ、窒素は重要で、農業では,多量の窒素肥料を投入して生産をしている。植物は、窒素を硝酸イオンやアンモニウムイオンの形で根から吸収する。
大気中には
窒素が体積比で
78%もあるのだが、
植物は直接窒素を利用することが出来ない。窒素は、硝酸イオンやアンモニウムイオンとなって初めて、植物が利用出来る。
窒素を、栄養として利用出来るように変えることを
窒素固定といわれる。これには、生物によって行われる
生物的窒素固定と、生体反応が分からない
非生物的窒素固定の二つがある。
生物的窒素固定は、地球全体においては1年間に1億8000万tが固定されているといわれている。(その内、農耕地における固定量が約9000万t程度で、その大部分は、食用及び牧草のマメ科植物によるものといわれている。)
非生物的窒素固定においては、工業的な固定が年間約8000万t、そのほかの固定が年間4000万t以上と考えられている。
人間は、植物が固定した窒素を蛋白質や核酸の形で摂取して生きている。植物が固定した窒素は直接又は魚や動物を経て摂取され、
約53%の
窒素が
マメ科植物から、約47%が生産された化学肥料のものであるらしい。
そして、そのマメ科植物には共生する細菌(根粒菌)がいて、植物は細菌に栄養を与え、固定された窒素を利用する。
昔から、土壌の肥沃度を増すために、マメ科植物の力、つまり根粒菌の窒素固定能力が利用されて来た。
たとえば、昔はムギの畝間(ウネマ)にダイズを植えることが多かったりしたのもそのためらしい。マメ科植物の根粒とその機能が解明されたのは20世紀になってからだが、経験的に行われていた。
窒素化学肥料は,20世紀初めから生産されるようになったが、それ以前は、刈敷、人や家畜の糞尿、堆肥、干鰯、油粕など様々な有機肥料が用いられて来た。そして、肥料を補うマメ科植物の存在は、今とは全く違って大切にされてきた。
畦の一部に植えられた大豆の薄紫のちいさな花を見ることもなくなったが、
特に直接摂取することなく、緑肥(ゲンゲの窒素固定力は強大でおおよそ10アールあたり、4-5kg の窒素を供給し得る。)として使用されるゲンゲの存在は、今では、化学肥料の普及と早生種(田植の時期が1ヶ月以上早まって4月から5月になったため、土の中に鋤き込んだゲンゲの発酵が完全ではなく肥料になりきっていないため、稲の苗を弱らせてしまうため。)の利用などによって殆ど無くなったため、以前撒かれたものが、断片的に一部残っているようなものしかない。
近年、近代的農業において、「生物性」はほとんど軽視され、「化学性」がとりわけ強調されてきたことにより、化学肥料や農薬を大量使用した手法が農家の間に広がり、農薬・化学肥料の使用が、土壌内の微生物を弱らせ、死なせ薬剤の多投が、痩せた土地へと変貌させていく大きな要因となり、反して有機農業を続けた年数の長い農地ほど生息する微生物が多様で、活性が高いことが分かってきた。
私にとっては、なにより、この田んぼのようにゲンゲが咲き乱れる春の原風景として、存在していることが大事であり、少しづつでも復活していくことを心から願いたい。
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